自分たちの住む地域の価値を 地域のみんなと共有したい!

Pocket

秋田県羽後町田代地区在住 長谷山信介氏

 

どんな活動をしていますか

写真家の細江英公と舞踏家の土方巽が羽後町田代を舞台にした写真集「鎌鼬(かまいたち)」で地区住民を巻き込んで撮影したこと、並びに土方巽の父が羽後町出身であることに因んで、両氏の業績を広く国内外に伝え、写真芸術、舞踏の発展を支援することを通じて、この地域の振興に寄与することを目的とした、NPO法人「鎌鼬の会」の代表を務めている。

また、町の平野部と山間部を結ぶ、七曲り峠の麓から太平山までの沿道に植わる桜の木を守る活動「桜を守る会」の会長としてこの保存活動を行うとともに沿道の環境整備などもおこなっている。

 

はじめたきっかけ

関東の大学卒業後、郵便局員となるため仙台で就職、約9年働き地元へ戻って来た。

郵便局員となったのは、実家が曽祖父の時代から特定郵便局となっており、この跡取りとなるため。当時の郵便局員は国家公務員であり、郵便局の跡取りというとおかしな話だが、土地・建物を無償で提供させ、郵便の取り扱い事業を委託する特定郵便局制度により、跡取りとして郵便局長を目指すことになった。

局長となった頃は、労働問題が叫ばれていた。「公務員が働かない時代」、国鉄でおこっていた問題同様、郵便局でも同様の問題が起こっていた。当時は、事務作業の全てが手書き、

機械導入による効率化が進む中、「機械導入すると仕事がなくなる」といった一部組合員の考え方により、効率化反対運動が起こっていた。私が局長を務める局の職員たちは反対派ではなかったが組合員であるため同一行動を取らざるを得ない状況だった。機械搬入当日は、自局の職員以外の反対派組合員がやってきて導入阻止するなど、大変な出来事もあった。しかし、「仕事は仕事として働かなければならない」と流れが進み、営業目標を設定し意識改革をおこなった。

手書き作業が機械化されると効率は上がるが、機械の使い方がわからないといった問題も発生した。私は仙台で過ごした時にこれらの機械を使用した経験があったので、羽後町では機械の操作を良く知る局長として信頼を得ることができた。

そして、町を盛り上げようという活動やイベントに、郵便局長として、郵便局としても参加していくことになった。

 

大切にしていること

羽後町内でも田代地区発信の活動やイベントなどに「なんで田代なの?」という声が上がることもあるが、地域を盛り上げていく上でこのような声は気にしていない。

田代地区発信のイベントと言えば、「ゆきとぴあ七曲り」。イベントを30年以上続けていけるのは、地域のみんなのチカラだと思う。

郵便局長時代には、年会費一万円のふるさと会員制度をつくり、町出身の都市部在住者に向け地域産品をお届けした。地域の婦人会の方々に作っていただいた山菜の水煮をパック詰めして発送するなど、仕事の中で地域を盛り上げる活動も実施でき、この水煮パックの発送は現在も羽後町田代郵便局で続いている。

「桜の木を守る会」は、羽後町の七曲り峠が整備された時、痛々しい姿であった桜の木を何とか守りたいと親の代から始まった。

現在は田代地区だけでも40名ほどの会員がいる。峠の沿道に地元の小中学生達と一緒に100本の桜を植えたこともあるが、日当たりの影響ですべてが順調に育成しないこともあった。桜の木の手入れや沿道の草刈りなどを実施しながら桜の木を守っている。元は長谷山家の土地である七曲り峠。売却時に桜の木だけは自分のものとしたいといった内容で契約した。峠を往来する人たちに景観を楽しんでもらえるよう自分達の手で守っていきたい。

今後の目標

NPO法人鎌鼬の会では、昨年10月に鎌鼬美術館をOPENさせた。開館セレモニーに羽後町長は出席されなかったが、私が挨拶した内容を書面で読んでいただいた。本来、美術館というものは収益性が低く公立であったほうが良いと思う。公の物として存在した方が良いならば町営にした方が良いと思う。

美術館は旧長谷山邸の蔵を改修し、この財源はクラウドファンディングで集めた。美術館を新しくイチから建てると数億円かかるであろうが、今回は現存施設を利活用したので費用は最低限に抑えた。鎌鼬美術館は写真美術館なので、寄贈された写真を展示する小規模な美術館。基本的に小規模の美術館は成り立っていくはずがない。だからと言って関連品などあらゆるものを揃え、規模を大きくしていくと範囲が広くなりすぎ、資金的に運営が難しくなる。自分たちで運営していくには現状のやり方以上は出来ないかもしれないが、コレを取り巻く環境に自分は実在している。

1,400人程度の人口規模の田代地区は、今後消え去る可能性のある地域。美的にいうと「田んぼやハサ、畑や牛のある長閑な生活」といえるし、都市部から訪れた人が懐かしさや素晴らしさを感じる環境。「桃源郷」「里山の原点」と文学的に例える人もいるが、現実としてこの地域で暮らしていくことは綺麗ごとだけでは済まされない。

だが、この地域が素晴らしいと感じてくださる人が世界中にいるからこそ、この感性や考え方を地域に住む人々がもっと理解し「だったら、この場所で生きてやろう!」と感じるだけで価値があると思う。

羽後町田代地域のみんながこのように感じ、共有していける地域でありたいと考えている。

 

 

ライター:崎山健治

2016年5月に大阪市から秋田県羽後町へ移住。
羽後町に関西のノリを広め、秋田と大阪の文化をミックスしたいと考える一方、
地域の問題・課題を事業として解決したいと起業を目指し活動中。
Pocket