蛍が飛び交い、満点の星空が広がる風景を活かしたい!

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秋田県羽後町 飯沢地区 北畠正久氏

 

元教職員で、羽後町の小学校で7年間校長として勤務していた。退職後、教育相談員を5年務め、
現在(2017年2月時点)は飯沢地区連絡協議会会長、羽後町老人クラブ顧問など様々な活動を行なっている。

書家 北畠龍門としても活動し、秋田県書道連盟 副理事長を務める。居住地区にある熊野神社の宮司でもあり、趣味として祖母から教わった和紙作りも行なっている。

教育者として過ごした時代

大学卒業後、中学校の教員として湯沢市や羽後町の学校へ勤務していた。学生時代にバンドをやっていたこともあり、部活動は吹奏楽部を受け持ちたかったが、バレー部を任されることなった。その後、湯沢南中学校で県内初のハンドボール部を立上げる事となった時、これに関わり、県内の中学校ではあまりメジャーではなかったスポーツを、県下の中学校の部活動として広まるきっかけをつくることができた。管理職になってからは小学校勤務となり、羽後町の小学校で7年間校長として勤めていた。

退職後、公的な仕事を県から依頼され、「そんな器ではない」とお断りしたのだが、町から教育相談員を頼まれ、5年間これを勤めた。この間、様々な相談を受けたが、現職時代に県の教育研究所で勉強したり、カウンセリング講習を受けていた経験が活きた。

 

趣味を超えた趣味

書道をはじめたのは父親の影響。軍事教練の指導をおこなっていた父はしつけが厳しかった。小学生の時は学校から帰ると半紙2枚分を書かないと遊びに行けなかった。このような環境で育ったので、小さい頃から自然と書に触れていた。中学生までは書の先生から教わっていたが、高校時代はあまり筆を触ることがなかった。大学卒業後、教職の道へ進み、筆で日記を書いたりと余暇の趣味として書を続け、秋田県の作品展や美術館の作品展に応募し入選、注目を集める時期もあった。

「書はその人を現す。人間そのものが書に現れ、その姿は人が歩くリズムや特徴と似ている。それを見た人が美しさに思巡らしたりするのではないか。」

和紙づくりは、自分が子供の頃に祖母が古来からの製法で作っていた。祖母が漉いた(すいた)紙を重ねているところに指を突っ込んだりして遊び、叱られたりしたこともあった。しかし、和紙作りは珍しく、最初は遊び半分で見ていたが、手伝ったりしていくなかで自然と身体に染みついていた。

地元を何とかしたい

現在、地区の連絡協議会会長で、「あそこの街灯が切れてる」「ここの除雪ができていない」など多様な問い合わせ受ける立場。雪のある冬季間以外は、週に2回地区を巡回したりするが、今後もっと地域を盛り上げていきたい。それには、現在の地域コミュニティに若い人たちを集め既存組織を存続させていく必要がある。廃校となった地区の小学校を利活用した農林業体験交流施設(沢の子の杜 わか杉)なども積極的に利用できるアイディアも地域の方々で考え、初夏にはホタルが多く飛び交い、満点の星空が広がり見ごたえのある風景が残るこの地区の特徴を活かしていきたい。

 

写真:渡辺佐(たすく)
ライター:崎山健治
2016年5月に大阪市から秋田県羽後町へ移住。
羽後町に関西のノリを広め、秋田と大阪の文化をミックスしたいと考える一方、地域の問題・課題を事業として解決したいと起業を目指し活動中。
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