どんな活動をしていますか?
学習塾「ガロア」を経営し、この塾の講師を務めています。書店である「ミケーネ」も経営し、町会議員としても活動し現在6期目の任期中です。地元を盛り上げる活動として、舞踏家の土方巽が地元羽後町田代地区を訪れた際の様子を写真家の細江英公が撮影し出版された写真集『鎌鼬』の故郷として、2016年4月に立ち上がったNPO法人鎌鼬の会の事務局も務めています。はじめたきっかけ
大学卒業後、東京大田市場の電算部でプログラマーとして働いていたが、農家の長男なのでいつかは地元へ帰ると決めていた。プログラマーとして働くことは自分の性にあっていたが、30歳を機に地元へ帰る決意を固め帰郷、農協職員となり当時盛んだった養蚕の指導員として働いた。
農協職員時代は地元の羽後町田代地区を巡回していた。この経験は、議員として活動する上でとても役に立っている。当時の農協は事務作業がすべて手作業だったので、「作業効率を上げミスを減らしたい」と考え、前職の経験を活かし経理の電算化に取り組んだ。この時の経験は現在の会社経営にも活かされている。農協は、保険、共済、貯金、食料品・生活用品の販売などがあり、職員時代は様々な知識を得ることができ楽しかった。
1990年に農協を退職し、この年の冬季間は自動車組み立て工場へ出稼ぎに行った。この間、帰郷後の生計として、書店と学習塾を経営する構想を練っていた。書店は嫁がやりたいと希望、自分は子供に勉強を教えるのが好きで塾をやろうとの考えで、帰郷後に有限会社ミケーネを設立し賃貸物件で「学習塾ガロア」を開業した。その後、現所在地の土地を購入し書店と学習塾を建てた。学習塾は移転後、生徒も徐々に増えていきピーク時は部屋に生徒が入りきらない状態までになったこともあった。
「書店ミケーネ」も町に同業者がいなかったこともあり開業後の売れ行きは好調だった。しかし、時代の流れとともにコンビニや大手書店も町に進出、学習塾も集団指導から個別指導が主流になり難しい時代になってきている。
大切にしていること
書店の名前は、「ミケーネ」にすると最初から決めていた。トロイの木馬の話が描かれるホメロスの叙事詩『イリアス』に物語られるギリシアの王国連合とトロイア王国(トロヤ)の戦争で描かれるトロイの木馬の本を読んだ、少年時代のハインリヒ・シュリーマンがこの物語を本当の出来事だと信じ、大人になり発掘に乗り出しミケーネ文明(トロイア文明)を発見する。この話のように「一冊の本が人の運命を変える」といったことにちなんで名付けた。
学習塾は、生徒が先生と仲良くなって、生徒が喜んで授業に来ることが大切だと思っている。現在、講師は自分も合わせ21人、優秀な講師の方たちに恵まれ今まで様々な子供たちと触れ合ってきた。塾に通っていた生徒が県外で就職した後に帰郷し、講師を務めてくれることもある。また、塾経営は多様な個性の講師の方たちとの出会いがあり、様々な話題について会話し楽しみながら経営できている。
町会議員は6期目になるが、元々政治や行政に興味はなかった。会社設立後、地元地区の先輩町議から呼び出され次の町議への立候補を打診されたことがあったが断ったこともある。しかし、町で行政関連施設建設地の土地売買をめぐり、新聞に取り上げられるような問題が発生した。この出来事には無性に腹が立ち、自分が町会議員となり行政へ意見を述べると決意、立候補し当選を果たせた。町会議員は、実際にやってみると面白く様々な問題を考える良い機会を与えてくれている。
生まれた時から我が家は茅葺屋根
2007年の夏、俳優の榎木孝明さんが「今晩、家に泊めてくれませんか?」と、尋ねてきた。塾での仕事を終えて帰宅すると家には撮影スタッフとテレビカメラが! 芸能人が田舎に泊まる趣旨の企画で突然撮影に訪れたという。榎木さんは茅葺民家に興味をもたれ「他の民家も見てみたい」と言われたので、翌日集落の茅葺民家を案内し葺き替え作業を一緒に見たりした。その日の最後、榎木さんは我が家の絵を描いてくれた。
その後、撮影された模様がテレビ放送されると物凄い反響があった。この番組では自宅の連絡先は出ないはずなのだが、「書店ミケーネを経営」というキーワードで店に連絡がくるようになり、首都圏の方々から「茅葺民家に泊まらせて欲しい」、仙台から「バスで見学に来たい」などの問い合わせがしばらく続き「茅葺屋根は人の心をこんなに引き付けるのか」と気付いた。自分自身はお金があれば茅葺屋根を現代住宅の屋根に変えたいと思っていたし、生まれた時から茅葺屋根の民家で育ち、このような価値があるとは考えなかった。
この出来事がきっかけで、近所にも同様の屋根が多く残るこの地区の茅葺民家は羽後町の財産ではないかと考えるようになった。かつて、筑波大学、秋田県立大学の先生が茅葺民家の調査に来ていた。その時、「このように人が住む茅葺民家が多く残る地区は非常に貴重で、1987年に羽後町の茅葺民家軒数を調査した際には236件の茅葺民家が存在した」とのレポートが出されていた。その資料を見てみるとほとんどが地元田代地区であった。しかし茅葺民家の軒数が急速に減っていることにも気付き保存運動を開始した。
茅葺屋根を保存するには茅葺師(葺き替えの職人)の育成が必要、羽後町の茅葺師に弟子入りさせ後継者を育成する事業を町長に提案。後継者を確保する事業が実現した。また、茅葺屋根は葺き替えが必要で、この費用の一部補助をおこなう内容の提案もした。議会では個人の所有物に補助を出すことに様々な意見があったが、過去に福島県で補助を出していた実例があり、賛同を得ることができ提案が成立、現在も葺き替え費用の1/3を町が補助してくれている。
茅葺民家の保存運動をする中、日本民俗建築学会との繋がりもでき、本年10月には羽後町でこの会のシンポジウムが開催される。「観光化されず茅葺民家で普通に暮らす生活があるのは羽後町が最後ではないか」とこの会の方々は話しておられる。
茅葺屋根の民宿が誕生!
ある日、地元地区で築百年を超える茅葺民家に住むお婆さんから連絡があり、「高齢になり一人で住むのが困難になった。家を解体するにも費用が200万ほど掛かるのでどうしたらいいものか」と相談を持ち掛けられた。
町で所有し保存できないかと役場へ相談したが難しいと断られ、この結果をお伝えしたところ、「阿部さんが貰ってくれ」と言い出された。茅葺民家の保存活動をおこなっているが、自分自身が茅葺屋根の家を2軒所有すると維持費用が大変。NPOを立上げ、団体として所有し保存できないかと同地区の仲間たちと話し合った。「茅葺民家は地域財産だ」と話が盛り上がったが、共同出資して利用していくのは難しいのではないかと話の方向は進み、「みんなで応援するから久夫さんが持て」と話が纏まってしまった。
困ったことになったと考えていた時、東京で働く息子夫婦が地元へ戻ると連絡があった。息子と相談し、相談されたお婆さんへ「息子の名義で引き取っても良いか」と話したところ、「それでも良いので貰ってくれ」とのことで譲り受けることとなった。この家を農家民宿として利活用していこうと家族で話し合い、茅葺屋根の農家民宿「茅ぶき山荘 格山」がオープンすることとなった。
今後の目標を教えてください
羽後町の茅葺民家は点在しており観光資源としては弱い。茅葺民家を民宿として経営すると儲かるかどうかの保証もないし初期費用がかかる。「茅ぶき山荘 格山」をそのテストパターンとしてやってみるのは面白いと考えスタートした。
今年で4年目となり地域では少し注目を得る民宿となったが、今年度やっと黒字転換できるといったような経営状況に、息子は本格的に民宿に力を入れ始めている。しかし、農家民宿は手が掛かる割に儲からない。書店、学習塾、民宿を家族で経営している中、全体のバランスで考えると楽になるには民宿をやめること。しかし、地域で交流人口を増やそうと動いている今、民宿をやめてしまうと影響が大きいだろうと考えている。
町会議員については次期のことで悩んでいる。昨年の選挙で若手が3名当選したが、町に女性の議員はいない。今後、町の未来を担う議員を育ててみたいとの考えも持っている。
書店経営はどんどん厳しい状況になるが、町に書店があることは地域にとって大事なこと。なんとか残したいと思う。書店業界は年間約1000件が廃業している状況。儲からなくても赤字にならない程度でなんとか残したいと考えている。
学習塾経営は息子夫婦と共同しているので彼らにノウハウは残せている。しかし少子化する地域でこのままでは経営も難しくなる。息子夫婦は地元産品である「いぶりがっこ」の製造販売も始めたので、これも今後の生計とできるよう頑張っていきたい。
茅ぶき山荘格山(かくざん)
URL: http://kakuzan.ugotown.com/index.html
取材:2017年2月