羽後町に2016年7月、道の駅がオープンしました。ここで働くスタッフは、県外へ出て行った経験がある若者が中心です。この記事を書くこととなった私自身、オープン前の5月から立上げに携わり、8月末までお手伝いさせていただきました。その際、ここで働くスタッフたちと交流し、「素直で真っすぐな人材が揃っている」と感じていました。オープン直後はとても忙しく、ここで働くきっかけや思いを共有することができなかったので、今回、座談会を開き、各部門から1名ずつ参加してもらい、改めて話を聞くことにしました。
左手前から、伊藤歩美さん・阿部美乃莉さん・後藤慶太さん 右手前から、藤井里美さん・柿崎真由子さん
道の駅で働くきっかけは?
≪藤井さん≫ 地域を活性化したいという思いから帰郷し、地元のNPO支援センターに勤務していた。そこで働くと、既に地域のために動いている人がたくさんいた。当時、この方たちの活動を披露する場所を提供する役割であったがうまく出来ずにいた。そんな中、羽後町に道の駅が出来ることを知り、ここで働くと地域の方が地域の為に、いきいきと楽しそうに働く姿が披露できて、地域の農産物を販売することで地域活性化にもつながるとの思いをいだいた。
≪柿崎さん≫ 県外の大学へ在学中、就職活動をおこなう中、自分は何をしたいのかわからないままだったので、一度地元に帰り考えることにした。その後、接客関係の仕事をしていたが、自分が何のために働いているのか、やりがいのある仕事がしたい、人のためになる仕事がしたいとの思いを抱き続けていた。羽後町に道の駅に出来るという噂は聞いていたが、それを聞いた時すぐに働きたい思いはなかった。道の駅ができる前年に、西馬音内盆踊りを初めて見に来ることがあり、その優美さや不思議な世界感を感じ、自分は今までなんでこれを観に来なかったのかと感じ羽後町を好きになった。この魅力を発信することは羽後町のPRに貢献できて、道の駅はこれができる仕事だと感じた。
≪後藤さん≫ 羽後町に帰郷した理由は、祖母の介護のため。首都圏で勤めていた時から調理の仕事をしており、帰郷後も同様の職で何か所か働いた。道の駅で働くきっかけは、小坂社長から道の駅で働いてみないかと声を掛けてもらったこと。帰郷時に、何となく自分の店を持ちたいと考えていたため、誘われたときは悩んでいた。こんな考えの中、友人と居酒屋で食事をしていると、「若者が羽後町を盛り上げてくれ」と年配の方から急に話しかけられた。道の駅で働くと秋田県の知名度の改善ができて、羽後町のPRにもなるのではないかとその時考えた。
≪阿部さん≫ 道の駅ができるということを、小坂社長からは聞いていた。当時は、自分の店を持ちたいと考えていた、飲食店での経験を更に積みたいと思っており、別のお店に勤めることにした。そんな中、改めて小坂さんから声をかけてもらい、度々お話しするようになった。話の内容で、道の駅にはCaféをつくり、ここを任せていきたいという。やってみたい気持ちがあったが、まだ自分には自信がなかった。地域を盛り上げたいと活動する父へこのことを相談していると、道の駅に勤めることで、自分のやりたいことができる気持ちが湧いてきた。
≪伊藤さん≫ ブライダル関係の調理の仕事を3年間京都でやっていた。当時は自分の後輩が入ってこない環境。毎日同じ仕事の繰り返しで、新しい経験が積めずにおり、一旦、地元に帰って新しい経験を積もうと帰郷した時、タイミングよく道の駅の飲食スタッフの募集があり、今までの自分の経験を活かしながら、新しい様々な経験が積めるかもしれないと感じた。
グランドオープンから今を振り返って
≪後藤さん≫ 昨年7月に道の駅がオープンした時は想像を超える忙しさだった。でも、あの忙しさがあったから今やっていけるんだろうと思う。雪が降れば客足が減ると思っていたが、ここまで状況が変化するのかと実感した。オープン初年度は、すべてが初めてのこと。色々吸収し経験にしたい。
≪柿崎さん≫ オープン当初は、開店はできていてお客さんが来るから買ってもらえている状態だった。ただ商品を陳列して販売しているめちゃくちゃな状態で、モノの知識がないまま販売してしまった。自分が無知な点を、お客さんからの質問で気付くことがあり、質問を受けてから生産者へ確認している状態だった。賞味期限のチェックなどできていないことも多々あり、このような点を改善しながら、少しずつ進めれてきている。事前に産直品の収穫時期なども把握できていなかったが、ここまでやってきて得た知識もあるので今後、これを活かしていきたい。
≪藤井さん≫ 結論からいうと、責任感が変わった。今までの自分は、人の上に立って仕事をする経験がなかった。道の駅でも、現場重視となり、自分で仕事を抱えてしまって各自に業務分担出来ていなかった。冬場に客足が落ち着いてきて、業務分担ができるようになり、次のことを考えないといけないと思う。売上意識、イベントの計画、品揃えなど先手を打てるように進めていく必要性を感じている。自分自身、マネージャーという経験は初めてで、時にはその責任から逃げ出したい気持ちになることもあった。結果が出ていないことは自分の責任ではないかとプレッシャーを感じていたが、今、自分の役割がようやく見えてきた。様々な状況を整えて自分の役割を果たしていかなければならないと感じる。
≪伊藤さん≫ 私も人の上に立ったことがなく、現場の作業しか経験がなかった。シフト作成もどうやっていいかわからず、探り探りの状態でのスタートだった。ジェラートの販売も、ここまでの数量が売れるのか!というくらい行列ができてビックリした。当時は、スタッフがギリギリの人数、製造現場、店舗での販売もなんとか対応していける状態でやっていた。オープン当時を振り返ると夏場は只々疲れた。秋口から販売数量が落ちていく中、新しい仕掛けが早期にできず、ホットメニューを考え販売開始するも数量は伸びず、何を販売していけば良いかわからなくなったこともあった。
≪阿部さん≫ 何もかもが初めての経験。オープン前後は、目の前のことでいっぱいいっぱいだったが、今は自分に気持ちの余裕を持ってやらなければいけないと気づいた。現在、ジェラート部門のスタッフに手伝ってもらうようになったが、それまで、自分がいればなんとかなるという気持ちだった。別の部門から助けてもらうとこで、初めて人に教える大変さに気づき、お客さんだけでなく、スタッフにも気を配っていける心の余裕を持って取り組まないといけないこと気付き、少しずつ心の余裕を持ててきている。
今後やっていきたいこと!
≪伊藤さん≫ 道の駅オープン時は、ジェラートの種類を7種しか対応できなかった。来夏は10種類を夏の頭から導入し、商品のディスプレイも研究していきたい。新しいフレーバーもやりたくてできなかった味が何種かあった。これらにもチャレンジし、地元の食材を使った商品も導入していきたい。
≪阿部さん≫ カフェでは、「英語で遊ぶ会」や「スイーツバイキング」などのイベントを開催してきたが、今後も様々なイベントを企画して、カフェに来ていただけるきっかけを増やしていきたい。道の駅ができたことで他市町村の方も来ていただける。この方たちが続けて道の駅に来てくれて、羽後町のファンになる。自分はこの方たちから自分の知らない、地域の良さを教えてもらえた。イベントを企画しておこなうことで、お客さんが楽しんで、自分たちも楽しめるようになっていきたい。
≪後藤さん≫ 先日、今後に向け色々と備品を調達する機会があった。それらを利用して新しいメニューを提供していきたい。また、羽後町を代表するうご牛のメニューを提供できていないので、この開発もおこない地域の食材をアピールしていきたい。自分はテレビの料理番組や食べ物の番組を観ることも好きなので、これらで注目されているようなことを活かしながら、夏の新メニューのアイディアを模索している。また、オープン当初は時間の掛かっていたそば打ちも段々と早くなってきたが、お客様にもっと喜んでいただけるよう、そば打ちの技術を磨いていきたい。
≪柿崎さん≫ グランドオープン前に自ら生産者さんの元に出掛けて行き得た情報を、今の商品PRに活用できていない。オープン後に産直会に入会された方もいるので、生産者さんを再度訪問し、生産品を把握しながら改めて情報収集したい。これらを活用した売場での販売や産直新聞のようなものも作り生産者のこだわりを消費者さん伝えて、道の駅うごの直売所は面白そうだなと感じてもらえるようにしていきたい。
≪藤井さん≫ 一番には、今までご指摘いただいた点を繰り返したくないので先手を打っていきたい。「道の駅のメニューは美味しい」、「羽後町の景色は綺麗」と声を掛けていただくことは嬉しいが、自身は「この地域は面白いね」と声を掛けられるようになりたい。会社名の由来となる、おもしぇ(秋田弁で面白い)という言葉通り、秋口からイベントをたくさん仕掛けてきた。他の道の駅との差別化の方法は色々あると思うが、若いスタッフ達だからこその発想で、お客様に面白いと感じていただけるようにしていきたい。また、グランドオープンから、町内外たくさんの方たちに来ていただいたが、この方たちに町との交流をしていただくことができなかった。今後は、自分たちが町の人たちと交流し、道の駅は来町者の窓口となり、町の人たちと一緒に羽後町を盛り上げていきたい。
地元へ戻ったからこそ感じること!
≪後藤さん≫ 地元を離れるきっかけがあったから出て行った。まだまだ、やりたいことがあったので、祖母の介護ということがなければ、まだ羽後町へ戻って来ていない。このきっかけがあったから戻って来て地元で働きだしたが、今は楽しさを感じているし、地元を離れた友達にも戻ってきて欲しいとの思いもある。道の駅に勤めたことで、そば打ちを始めることになり、最初は仕事だからとの思いで取り組んでいたが、これを通して色んな人と交流ができ、地元で働いたからこその喜びや楽しさを感じられている。地元へ帰らない理由に、仕事が無いから戻って来ないといったこともあるが、地元に戻ったからこそ、新たなことに目覚めるといったこともある。地元に戻るには、きっかけが必要なんだと思う。
≪阿部さん≫ 県外に2年ほどいて、自分が何をしたいのか、わからなくなることもあった。それがきっかけとなり戻ってみると、帰って来なければ自分でも気づかなかった安心感があった。地元で働くことで、家族や父親と話す機会も増えたし、自分の生まれた地域の文化を改めて認識できた。戻ってきたからこそ地域の人に声を掛けてもらいやすくなり、様々な人と出会い仲良くなれたので、西馬音内盆踊りや田代太鼓を始めるきっかけとなり地域の文化にふれることができた。仕事も楽しいけど、地域の文化に触れる楽しさを改めて感じる。
≪伊藤さん≫ 私は地元に友達がたくさんいる環境で戻ってこれた。一緒に買い物や遊びとなると町外へでていくことが多く遊ぶ場所は無いなと思うが、高校時代に部活でやっていたバトミントンを、無料解放されている体育館で今も楽しめている。地元から離れている時は、スポーツを楽しむ時間や場所もなかった。都会はショッピングなどでお金を使って楽しめる場所はあるが、地元は体を動かして余暇過ごせる環境が整っているなと感じている。
≪柿崎さん≫ 何をしたいかわからないまま就活し、安易な考えで帰郷したが、戻って来て良かったと思う。学生の時は家族と話していても家業のことをあまり理解していなかったが、地元で働くことでこのようなことに興味を持ち、料理・畑・農家のこと、一人暮らしをしていた時には聞けなかったことを親や祖母に聞くようになった。仕事と地元+家族がセットで自分の側にあると勉強になることも多い。
≪藤井さん≫ 地方の町の出身だからこそ、一度は地元から出て外から地元を見てみる機会が必要ではないか。自分は外に出たからこそ、色んな経験をして感じることができたので地域を活性化したいと思ったし、自分で何かがやりたいという人がたくさんいることも感じた。地元は、自分がやりたいことを実現できる場所、新しいことが始められる場所といったチャレンジのしやすさがあがればいいのではないかと思う。例えば、モノ作りがしたいという人がいれば、道の駅は販路として活用でき支援もできる環境。このような環境を増やしていければ人同士も交流できるので、このような支援ができる環境が整っていって欲しい。新しいことにチャレンジできる町、地元の人と交流してその土地のこと知ることができる、新しく始めた者同士の交流ができ刺激を受けあえる。そんな町となりPRしていければ、自然と帰郷するだろうし、町へ来る人も増えるのではないかと思う。給料的には県外のほうがいいのは当たり前、地元で就職する際はこれだけなの!?と思ったが、その分、心にゆとりがある生活ができているし、ここで暮らすにはそれがなければ生きていけないと思う。
ライター:羽後町地域おこし協力隊 崎山健治