秋田県雄勝郡羽後町(うごまち)西馬音内(にしもない)在住 高橋直輝氏
祖父母の代より続く理髪店で働く三代目ヘアメイクアーティスト。
地域の伝統行事である西馬音内盆踊りと地元と仲間をこよなく愛し、人口減少により過疎化する町への思いを抱きながら、来店するお客さんとの会話を楽しみにハサミを動かしつづけています。
理髪店と美容室がやたらと多いべ!
人口対理美容店数の比率が高い秋田県、この中でも高比率の羽後町。ヘアサロン タカハシは、半径100mに理美容店が5店舗あるとのこと。なぜこんなに店が多いのか尋ねると「病院へ行くから」「会合があるから」「何かしら人と会うから」などで来店するお客さんが多いことから、顔見知りの人と会う確率が非常に高い町ならではの理由により、身なりに気をつかい、美や見た目への関心が向上、理美容の需要が高くなり、店が増加していったのではないかといいます。町内に同業種が密集していると競争が激しいと心配しますが、実は、共同し助け合いながら技術向上し、町の理美容業界を守っているそうです。しかし、人口減少の影響を受け、理美容店舗は減りつつある状況となっています。
自分が生まれ育った町内が好きだから!
理容師になるきっかけは?と質問すると、しばらく考えた後、「自分が生まれ育った町内が好きで、そこで暮らしていきたかった。理髪店を経営する祖父母と両親が働く環境も好きで自然とこの道を目指した」と話します。高校在学中に通信講座で免許を取得、卒業後、秋田市の店で修行し5年が過ぎたころ、「忙しいの戻って来い」と言われ修行途中で実家へ戻り、祖父母の店で修行をつづけることになります。秋田市や都会で続けたいといった選択肢はなかったのかを尋ねると「地元が大好きだから都会で働きつづける意思はなかった」と地元愛に溢れています。「自分が子供の頃、農家のお父さんたちは、出稼ぎに行っていた。一方理髪店や商店では、常に家に両親がいた。当時は、出稼ぎに行った父さんたちが都会のお土産を買ってくる様子を見て羨ましく思ったが、今となっては両親がずっと家いることは幸福なことだった」と語る直輝さん。奥様も同町で美容師として美容室を経営しており、その環境の中で育った娘さんも理容師を目指し、現在は神奈川で修行をしながら、両親の後を継ぎたいと羽後町に帰ることを目標に頑張っておられます。
人見知りだけど人が好き。だから、お客さんとの会話も好き!
来店される方の、8~7割が町内、2~3割が町外と言います。目的外来町の無い町のヘアサロンに髪を切りに来てくれる人がいる。かつて羽後町で働いており町外へ異動になった人や噂を聞きつけ来られる方、町の伝統行事である西馬音内盆踊りの期間に来町した人が毎年カットに来てくれたりする。馴染みのお客さんは勿論、そのような方々と会話ができることも好きだとおっしゃいます。町外で暮らす同級生が帰郷した際に立ち寄った情報を繋ぎ、みんなで集まったりすることもあるそうで、ヘアサロンのサロンとしての役割も十分果たしておられます。秋田での修行中、先輩に「接客7割:技術3割」と言われたことがあったそうで、その時に「技術を5とか7にできたら凄いことができる」という思いから技術を磨きつづけています。
力試しのつもりが入賞しちゃってさ・・・
地元に戻り修行を続ける中、自分の力がどの程度あるのか、力試しに県の大会に出場し3位入賞、大会参加を続けていると大会主催者の組合から講師をやらないかと誘われ、現在もこの講師を務めています。「講師陣に加われば、自分より高い技術を持った人たちとたくさん知り合え刺激になる。教えるというより教わる気持ちで講師を引き受けた」と技術向上へのひたむきさを窺わせます。
また、同時期に誘われた秋田市の理美容専門学校の講師も務め、後進の指導もおこなったそうですが、この学校は、少子化と業界人気の変動により2年前から休校となっています。この専門学校へは講師を断るつもりで訪問したそうですが、見学時に生徒とふれあい、教える楽しさを感じ講師を引き受けたとのこと。「生徒に指導すると、基本の復習となるんだよね」と、楽し気に話しておられました。
家業を継ぐため帰郷した人が、仲間となれるコミュニティを作りたかった
商工会青年部の部長時代、少人数であった青年部員を増加させるべく、自分が楽しいと思う青年部の活動を見に来てもらい、楽しいと感じた19名が青年部へ入部したそうです。
「異業種間で意見し考え、実現できる商工会。楽しいことじゃないと集まれないから、それをみんなで考えて実現してきた」と話されます。羽後町の商工会青年部は、現在も活気溢れ、OBとなった直輝さんは、今も活動に参加し、本年度の青年部事業の特産品開発では、自ら試作品を作り会合参加するなど意欲を示し、現メンバーからも慕われる存在。地元を愛するからこその考えや行動が非常に魅力的です。
住み心地が良い地元! まだまだできることがいっぱいある!
自身が生まれ育った通りの商店には同級生も多いが町におらず、後継者がほとんどいないといいます。他の商店の後継者問題はわからないが、自分は地元が好きで最初から家業を継ぐ意思があった。隣の魚屋の幼馴染の息子さんも同様の意思で、魚屋だけでは生きていけないと、居酒屋を初め、町の人気店となっています。移り変わる時代の中で、新しいことを自分で考えて始めたほうがいいと、新しいビジネスの展開を考えておられます。「過疎化する町での暮らしに対する不安より、新しいこと、楽しいことを考えてやっていくほうがいい。
少しずつ減りつつある商店の街並みでも魅力的だし、魅力のある人もいるから、まだまだできることがいっぱいある。でもまずは自分のことをやるために力をつける。この仕事を死ぬまでやっていきたいし、自分が店をつづけることは、街並みとしても役立つのではないか。羽後町の自然はお金をかけても作れない。いつの日かそんな街に人が集まって欲しい」と地元を愛するからこその熱い思いを語ってくれました。
ライター : 秋田県羽後町地域おこし協力隊 崎山健治